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特別編「科学と社会」意見交換・交流会
結果報告(ゲスト:根井 寿規 氏 経済産業省東北経済産業局長)

 「科学と社会」意見交換・交流会とは、「科学と社会」をテーマに、毎回各界から多彩なゲストを迎え、宮城の日本酒を交えながら、ざっくばらんに議論するニュータイプのサイエンスカフェです。「科学と社会」についての捉え方は、立場によって異なります。ゲストが「科学と社会」をどのように捉えているのかお話頂くところから会はスタートし、その切り口から、ゲストと参加者で活発なディスカッションを行います。
※「科学と社会」意見交換・交流会の詳細と、これまでの報告


 今回は7月4日(土)の学都「仙台・宮城」サイエンス・デイ内にて、東北経済産業局長の根井寿規さんをゲストに迎え、特別編として開催しました。根井さんは、東京大学理学部地学科卒業後に通産省(現経産省)に入省。自分で現場を直接見て知り、人との関係性をつくっていくスタンスを貫きながら、主に石油政策、産業技術政策、地域振興政策などに従事、また日本だけでなく海外のさまざまな事例も見ていらっしゃいます。イラク戦争直後は日本政府を代表し、イラク暫定施政当局に3名の外交官チーム(故奥大使、故井上一等書記官とともに)の一員として派遣されました。2008年7月から東北経済産業局長として、今もなお現場を直接見て知るスタンスを貫いている方です。


 本会は、根井さんの切り口である「産学官連携と東北」について、根井さんからその意図をお話頂く講演会からスタートしました。後半の2時間は、宮城の日本酒も交えながら、立場の異なる多様な参加者が、交流会形式でゲストの根井さんとざっくばらんに意見交換をしました。本会は、明確な落としどころをつくることを主目的とせず現状認識を主な目的としています。 毎回、多様な立場のゲストと参加者により、「科学と社会」の多面性が浮かび上がる場になることを目指します。

日時2009年7月4日(土)18:00~20:00(学都「仙台・宮城」サイエンス・デイ2009内)
場所東北大学片平さくらホール
ゲスト根井 寿規 氏 (経済産業省 東北経済産業局 局長)
司会大草芳江(natural science 理事、宮城の新聞)
参加費実費2,000円(natural science 応援団員) ※非応援団員3,000円
備考宮城の日本酒とお魚が出ます(お酒のリストは別紙参照)。
次第 ■第1部(18:00~18:30) ゲストによる講演会
 【ゲスト】経済産業省東北経済産業局長 根井 寿規 氏
■第2部(18:30~20:00)  ゲストを交えた意見交換・交流会
 【乾杯の挨拶】(独)産業技術総合研究所東北センター所長 原田 晃 氏
 【中締めの挨拶】みやぎ工業会理事・宮城産業人クラブ会長 工藤 治夫 氏(工藤電機会長)

ゲストのプロフィール

昭和33年生まれ。昭和56年(1981年)東京大学理学部地学科卒業後に通産省(現経産省)に入省。大臣官房、資源エネルギー庁、環境立地局などで主に石油政策、産業技術政策、地域振興政策などに従事。地域振興政策については、農村地域工業等導入促進法の改正(昭和63年)、地域コンソーシアム制度の創設(平成8年)を主導。平成9年(1997年)から米国テキサス州ヒューストンに勤務(JETROヒューストン・センター次長)し、米国の中東・石油政策や産学連携・インキュベーション等の新規産業育成政策の調査等に従事。この間に、仙台-ダラス産業交流、米国の産学連携機関(TLO)の経験の日本への移転などに尽力。こうした功績により、米国テキサス州ジョージ・ブッシュ知事(前大統領)から感謝状を授与。2001年1月から経済産業省中東アフリカ室長、2002年7月から資エ庁石油精製備蓄課長として同時多発テロ後の経済産業省の中東・石油政策を遂行。イラク戦争直後の2003年5月から日本政府を代表し、イラク暫定施政当局に3名の外交官チーム(故 奥大使、井上一等書記官とともに)の一員として派遣。6000kmを車で走行し、ライフライン、産業施設の現状調査を行い、復興計画を策定。イラクの治安悪化により2003年8月に帰国。その後、貿易経済協力局技術協力課長として、特に、東南アジア地域との経済連携強化のための人材育成・知的財産・基準認証等の制度構築支援に従事。2005年9月から原子力安全・保安院原子力発電検査課長として、2006年末からの発電設備の総点検による過去の不正の洗い出しを指揮し、2007年7月の中越沖地震発生時のスポークスマン役などを担うとともに、長年の懸念であった定期検査間隔の柔軟化など国際水準の検査制度を実現。2008年7月から東北経済産業局長、現在に至る。

ゲストの切り口


※図はクリックすると大きく表示されます

「産学官連携と東北」
根井 寿規 氏(東北経済産業局長)

 今日この場は、この後の交流会が本番だと思っておりますので、ざっくばらんな形でやらせていただきたいと思います。私は昨年7月に仙台に参りまして、1年近くが経ちます。これからお話しする内容は、宮城・仙台ではほぼ初めてお話することです。


◆米国の新事業創出支援策とアメリカに赴任して

 「科学と社会」を考えるとき、いわゆるサイエンスあるいは研究の結果をどう社会に生かしていくかという視点で、「産学官連携」というものが言われています。「産学官連携」が比較的日本で重要視されるようになったのは、1998年に産学官連携促進法という法律がつくられてからです。

 80年代、日本が半導体産業を中心としたハイテク産業でアメリカの地位を脅かした時期、アメリカが自国の競争力をもう一度強化するために、「ヤングレポート」というアメリカ経済復活の処方箋をつくりました。その中でやったことのひとつめは、戦後の日本が成長してきた日本のしくみを研究して、中小企業支援の仕組みなど、アメリカに取り入れるものは取り入れる、というもの。ふたつめが、新しい企業・ベンチャーの育成をやった、と。それが産学連携であったり、ベンチャーキャピタル投資活動、シリコンバレーモデルを全米に広げる、というものです。ところがアメリカが93~94年頃から復権してきたのに対して、日本ではバブル経済が崩壊。私がアメリカへ行っておりました97年6月から2000年末までは、ちょうどアメリカがニューエコノミーITバブルで真っ盛りの時期。アメリカがどうもそのような仕組みでうまくいきはじめたようだ。この仕組みをどうやって日本へ持ってこようか、ということを私はアメリカでやっていました。

 どんなことをしたかについて、さらっとご紹介していきます。97年に、テキサス州ヒューストンに赴任しました。ハイテク産業の集積に関しては、アメリカの場合、スタンフォード大学を中心としたカリフォルニア州のシリコンバレー、あるいは東海岸のマサチューセッツ工科大学やハーバード大学があるボストンの方が有名です。けれどもアメリカ人に「どうしてその集積がうまくいっているのか」と聞いても、「古くからあるから、うまくいくんですよね」としか言わないのです。なぜそれができあがっているのかは、もう60年前の話になっている。

 ところがテキサス州の場合、オースティンという町は、1978年から明確に意図的に産業集積をつくった町です。シリコンバレーの過去の積み重ねを解析的に整備をして、どういう機能をつくっていけば、ハイテク産業集積ができるのか。そのために彼らが米国や欧米の地域とともに勉強していた地域の一つが、実は、日本のつくばです。つくばは失敗例として、きわめて丁寧に分析されています。「つくばは、あれだけの研究業績をつくったが、ハイテク産業集積はできなかった。自分たちはあんなことはしないのだ」と言って、違う要素を入れてやった世界があったのです。そういうことで、うまくいきはじめた。テキサスのオースティンという町は、本当はそれだけではありませんが、わかりやすく言えば、DELLコンピュータの本社がある町です。これは全くあそこから生まれ、今の状態にまでなっている。しかも、10年前にはできていたのです。

 テキサスのオースティンあるいは、そこから波及を受け、ダラスやヒューストンなどのような町で、ハイテクベンチャーづくりがずっと進んできました。これを自分がたまたま行った時に、いろいろな縁があって勉強する機会があり、「だったらこのまま、日本に持ち込んだ方が良いのでは」と、やらしていただいた仕事であります。

 自分は、当時の通産省から行った人間で、産業技術政策やエネルギー政策など色々な経験もありました。あの時点で私が感じておりましたのは、明らかに日本はアメリカがヤングレポートで再生を始めた時よりも17年遅れている。これがずっと17年遅れでは、たまらない。せめて10年、できれば7年ぐらいまで、持っていきたい。アメリカの経験をどうやったら早く日本へ持っていけるだろうか、と考えていたのです。

 具体的にどのようなことをやったのかについて、詳しくは資料を見ていただきたいと思います。けっこう手間をかけ、ゼロからいろいろな人との関係をつくりました。日本で初めて自分が会員になった組織が、いくつかあります。

 当時、日本でもちょうど、TLO(産学連携機関)をつくろう、としているときでした。アメリカのTLOの組織と、日本で新しくつくろうとしている組織の間での、アライアンスをつくろうとして動いた、ということです。そのために、いろいろな工夫をしました。

 米国からの指導者の長期滞在や、日本からの研修生の長期派遣、その派遣先まで含め全部、自分でおさえました。この資料に書いてある組織と、個人的に付き合いを全部つくりあげ、それを日本側の方々とつなげるようにしました。日本側の方々、あるいはアメリカ側の方々、いずれも全部自分が間に立って、いわゆるマッチングをやったということです。
 当時のAUTM(米国大学技術管理者協会) 、これは全米のTLOのマネージャー組織です。そこで年次総会をやりますと、1週間ぐらいの会期なのですが、1日でこれだけのプログラムを同時にできるような仕組みをつくっていました。これをどうやったら日本で、10年ぐらいで、このノウハウの共有をするための場をつくりあげられるか、ということを当時は考えていました。

 もうひとつ、これは東北でも是非やってもらいたい、とお話しすることがあります。先ほどお話したのは全国組織ですが、こちらはテキサス州の中だけでやっているものです。テキサス州の大きさは、アメリカの経済に対する人口の規模でも、日本に対する東北の規模とほぼ同じ。テキサスの方がちょっと大きいかもしれません。ですから、テキサスの州レベルでやっている世界は、東北全体でも同じようなことが当然できるくらいのものです。

 全米的なネットワークと、州レベルでのネットワーク、また当然、地域レベルでのネットワーク、もう少し小さな組織でのネットワークと、いろんな組み合わせを多層的につくっていって、産学連携や産業育成をしていくという世界です。

 もうひとつモデルでやったのが、TLOを産学連携だけでなく、ベンチャーキャピタルも含めてのインキュベーションです。このインキュベーションのノウハウは、大学のTLOのネットワークのノウハウとは、ちょっと違うところがありまして、組織も違うものですから、そのノウハウ移転も、TLOで実施した経験を生かして、同じようにやりました。

 全米のインキュベーション組織であるNBIA(The National Business Incubation Association)と、当時の日本のJANBO(日本新事業支援機関協議会)という組織とのアライアンスの設定も、当時自分がやった仕事のひとつであります。
 ヒューストンという特定の市のハイテクインキュベーターである「Houston Technology Center」は、自分が設立に関与しました。98年につくったものです。つい先日、当時の創立を一緒にやったメンバーからレターと電子メールが来て、10周年を祝ったと聞きました。実は当時、私自身がやっていた予算を活用して、この組織にトータルで10万ドルのファンドを入れてあります。

 これは何をやりたかったかというと、やはりアメリカという国で、ベンチャーキャピタルなどと組んで、ハイテクインキュベーターをゼロからつくるというプロセスを見たかったのです。滅多にこんな経験はできないだろうと思い、上手にいろいろな人に取り入って、創立準備委員会のメンバーに入れていただきました。アメリカという国で、全く新しくハイテクインキュベーターをつくる、それをゼロからつくる、そのプロセスを最初からつくり上げて、ある程度の形になるところまでを見せてもらえる。その機会に自分が関与したいがために、いろんなことやったということです。


 これはダラスにある別のインキュベーターです。先ほど言ったヒューストンのものは、どちらかと言うとコミュニティベースで、公共的な色彩のある、地域振興的な意味合いもあるハイテクインキュベーターでした。ダラスのものは、全く違う雰囲気のインキュベーターで、アメリカで名だたる5つのベンチャーキャピタルファンドが共同出資でつくっているインキュベーターです。そこにもちょっと違う形でお金を入れて、サポートメンバー、日本の組織でいう評議委員にしてもらいました。その評議委員会が毎月1回あるのですが、そこに行けば、その活動を全部教えてもらえるような環境をつくって、ずっと勉強をしてました。そういうやり方です。

 他にも、テキサス州オースティン市のソフトウェア・ベンチャー産業関係機関との連携を構築しました。オースティンにはどちらかと言うと、ソフトウェア関係の企業が多かったので、そこの協会と、日本の情報処理システム協会との間での、協定のアレンジをしました。この資料がその結果で、整理したものです。

 それとは別にバイオ関連でも、もう少しアメリカの動きを見たかったものですから、いわゆるバイオ関連の産業のクラスターと研究のクラスター、それと実際にどういうファンドをもらっているのか、というあたりも調べてみました。これはヒューストンの事例なのですが、ヒューストンには世界最大級のメディカルセンターがあります。ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、私がいた14年前で、42の医療研究機関からなっていて、1万人のお医者さんと5万人のいわゆる看護婦さんや理学療法士なども含めた従業員は全部で6万人、年間の患者総数は800万人、駐車場の台数で11万台、1日の来訪者数が10万人、ものすごい規模のものがあるのです。しかしながら、医療関連産業が育っていない。

 それは、先ほどのつくばと一緒で、医療研究機関集積をつくることに懸命となり、集積のための資金を流したのですが、そのサービスを提供する企業のための場所を、一切用意していなかったのです。いわゆる研究活動や医療活動の中心地にはなっているし、世界的にも著名な病院や研究機関があるのだけども、ヒュートンにはそのような産業が一切ないのです。そのため産業育成のための機関として、先述のヒューストンテクノロジーセンターを、みんなでつくろうとした、という背景があります。そのバイオのネットワークづくりも、いろいろな形でお手伝いしたということであります。

 つまり、これまでTLOやインキュベーター、ソフトウェア、バイオ関係のことをやりました。これらが自分の経験値です。これらをとにかく早く、日本に移したいということで、いろいろな活動をしました。

 冒頭でお話したような、産学官連携でのアメリカの動き、それから日本が98年以降どのようにやってきたかは、後で資料をさっと見ていただければ良いと思います。ただこのとき、産と学と公的機関が、どうやって好循環をつくっていくのか。これが結局、アメリカでいろいろな経験をして、ノウハウもありますし、実はマニュアルもあるのです。その英語のマニュアルを日本語に翻訳していただいて、日本の専門家の方々に解析的に整理していただいて、日本で使いやすいものをつくるとかですね。さっき申し上げたように、トレーニングができるようにするとか、いろいろな工夫をしました。

 資金や制度など、アメリカでやっているようなものを、日本でもつくれば大体が済む。先ほど申し上げたオースティンという町が、もともとシリコンバレーやボストンの要素を解析して、それでつくり上げた町ですので、これと同じことが日本でもできるということで、準備をしたのです。

◆問題提起

 ここからが、今日の問題提起です。いわゆる産学官連携は、随分、日本でも定着してきてます。大学が地域の拠点である、ということについても、だいぶ定着してきたと思います。今回、実は補正などでも、このような産学官連携拠点でのいろいろな予算を用意してますが、ここからが本日、私が申し上げる本題のひとつ目です。


 あれから10年経って、ようやく日本は、私自身がアメリカで経験してきた話をそのまま持ってこれるだけの、「まぁ、そんなものだよね」と理解していただける方が増えました。その意味では、実はアメリカも83年ぐらいからはじめて、そういう状態に持ってこれたのが93年ぐらいだと聞いていますし、自分が行った頃には、アメリカは次のフェーズに入っていました。細かい話は、また後で交流会のときに自分の思いをお話しますが、ようやく日本が10年経って、第2フェーズに入れたのかなと考えています。


 そのために今これからやろうとしているのが、本当の意味での産学官連携の核として必要であるところを、もう実績が10年できたということですから、選別をして、そこに集中的に国費も投入していくぐらいの構えをやりたい、ということを文部科学省さんと一緒にやっているのです。6月12日に集中統一先を、来年再来年ぐらいまで作業をして最大30、普通は20か25くらいでやろうと思ってます。

 ひとつ皆さんに自信を持ってご理解いただきたいのが、東北は日本の産学官連携の先進地です。地域的に言えば、圧倒的に進んでいるのが近畿。昔から立命館や京都のああいう雰囲気とかがそうですが。東北も、岩手大学や山形大学、東北大学を含めて、とにかく全国の中で先進地です。経験値がものすごく高いです。

 ですから地域産学官連携拠点では、全国10箇所選ばれた中に、岩手と福島が入っています。これもまだまだ本当に、20あれば5つ東北で選ばれても全然おかしくないぐらいの先進地です。ところがグローバルでは、全国5箇所、選ばれているのですが、その中で東北大学が抜けているのです。これは私も大変ショックです。旧七帝大で東大は出さなかった。この世界で東北大のライバルである東工大も今回は出さなかった。全国5箇所というのは、東北大学を除く旧五帝大が全部選ばれているんです。我々からすれば、大変ショックな結果です。これは、いろんな方とご相談させていただいてますが、来年は絶対にリカバリーです。

 しかも選ばれなかった理由がですね、もともと東北大学は先進的な取り組みをしているのに、その過去からの経験が今回の計画案に書かれていない、生かされていない。それに産学官連携の拠点なのに、研究開発計画ばかり書いてあって、その結果をどのように生かしていくのかが、一切書かれていない。おそらくプランの立て方の問題、あるいは第2フェーズに持っていくときのプレゼンテーションの仕方の問題だと思うのですが、これは来年、必ず取り返すでしょう。

 さて、あとはさらっと流していきます。

 岩手大学や弘前大学の取り組み、あとINS(Iwate Network System)の話はいろんな人がよくご存知だとは思いますが、産学官のネットワークでいえば、全国でほぼ最初に近い、20年以上の歴史があります。全国で一番早くからの取り組みです。それから米沢の事例は、これも山形大学工学部がやっておられるのだけども、全国的にも比較的早く組織化した事例です。それからご存知のとおり江刺先生がやっておられるMEMSパークや、7高専での連携システムをまとめている事例など。これだけ全国に先駆けて、先進的な取り組みを東北でやっている事例は、数えればいくらでもあります。

 ここからは普通の仕事の話になりますから、さらっと流していきます。そのような中で、要するにイノベーションの創出ということで、私どもは「新経済成長戦略」において、競争モデルの変化などに応じて、イノベーションの機能などに対しても今回、補正などで全部用意をしています。「産業クラスター計画」や「東北ものづくりコリドー」など、いろいろな形のものを順番に用意しています。けれども今申し上げたのは全部、サイエンス、研究開発の結果を、どうやって社会に還元するのか、というところから入っています。そして理科離れなど、このあたりを社会問題として捉えどのように改善していくのかに取り組もうとしています。ここまでは仕事の話です。ご関心があれば、後の交流会で答えても良いのですが。

 ここから先は、先ほど申し上げたとおり本日の問題提起で、私がお伝えしたいことは、2つあります。

 1つ目は先ほど申し上げました、産学官連携について、この地域は本当に先進的な地域です。日本はようやく第2フェーズに来ている。アメリカがやってきたもので90年代の半ば以降の状態と同じものが、もう組めるところまで来ています。それに対する取り組みをさらに強めていく時に、やはり日本で先進的な取り組みをしているこの地域から、次の日本でちゃんと取り組めるモデルをつくっていきたい。それが自分の思いです。

 2つ目はですね、実はこれをやろうとするときに、もうひとつ是非、皆さんにもお考えいただきたい。特に、大学の先生方にお願いをしたいことです。これは私ども、あるいは地方自治体も含め行政側が多少反省しないといけないことですが、大学の先生方に、産学官連携や産業、地域との関係を、私たちが強く求めすぎているんじゃないかな、という思いがありまして。

 10数年くらい前、バブル崩壊の直後に、当時の上司が「サイエンスフロンティア」というプログラムをやったことがあります。当時の日本で第一線の研究者、たとえば東大の十倉先生(物理)や岡本先生(数学)を全部入れて、とにかく今、科学者の皆さんたちが、一番ワクワクしていることって何ですか。本当に今、何が一体わからないことで、それを突き詰めるためにどのような取り組みをされているのですか。そういうことを、丸2日ぐらいやってもらったことがあります。それを政治家の先生方やお役人の偉い人たちに、全部聞かせた。

 もともと科学というものは、我々に夢を与えるもの。先生方がワクワクしていることを、やっていただく。常温超伝導もやりましたが、数学でもやってもらいました。バイオと言うよりも、生物そのものでやってもらいました。要するに、直接、産学官連携や実用化につながるかはさておき、逆にサイエンスのフロンティアを走っておられる先生方が、今何にワクワクしておられるのかということを、一般の方向けには難しいかもしれませんが、その間に立つ者たちに、何となくそのワクワク感を伝える場が、もっとあっても良いのではと思うのです。するとそこから10年たてば、世の中はこう良くなるというものにつながるものを、自分たちが使えるかもしれない。不景気のときこそ、またやったら良いと私は思うのです。そうした工夫も、是非していきたいと思っています。

以上、2点です。

 ちょっと長くなりましたが、「科学と社会」という切り口を、「産学官連携と東北」という切り口にしましたのは、東北は日本の代表例をつくっていけるだけの力があるのです。それをぜひ皆さんと共有して、その先へ向かって行きたい、という思いをお伝えしたくて、今日はお話させていただきました。私の話は以上です。

ゲストへのインタビュー記事(宮城の新聞)

【第2回目】東北経済産業局長の根井寿規さんに聞く:意味ある答えは現場にある
【第1回目】東北経済産業局長の根井寿規さんに聞く:相手を知らない限り、まず理解は進まない


宮城の日本酒リスト

coordinated by 亀岡の地酒屋 阿 部 酒 店

萩野酒造(栗原市)
萩の鶴・日輪田 醸造元
萩の鶴中取り純米吟醸「亀 岡」生詰美山錦50%精米19by
萩の鶴純米吟醸 別仕込み生詰美山錦50%精米20by
新澤醸造店(大崎市)
伯楽星・あたごの松 醸造元
伯楽星純米吟醸生詰蔵の華50%精米
あたごの松純米吟醸「ひと夏の恋」生詰ひとめぼれ55%精米
山和酒造(加美町)
山和・わしが国 醸造元
山和純米吟醸美山錦50%精米19by
山和特別純米中取り原酒生詰蔵の華60%精米20by
大沼酒造(村田町)
乾坤一 醸造元
乾坤一純米吟醸「蔵の風」生詰原酒ささにしき55%精米
平孝酒造(石巻)
日高見・新関 醸造元
日高見純米吟醸 タンク指定24号生詰山田錦50%精米
寒梅酒造(大崎市)
宮寒梅 醸造元
宮寒梅純米吟醸中取り美山錦生詰美山錦45%精米
川敬商店(美里町)
黄金澤・橘屋 醸造元
橘屋山廃純米吟醸無濾過生詰蔵の華50%精米
墨廼江酒造(石巻)
墨廼江 醸造元
墨廼江純米吟醸 雄町生詰雄 町55%精米
千田酒造(栗駒市)
栗駒山・奥鶴 醸造元
栗駒山純米吟醸 ひとめぼれひとめぼれ50%精米



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学都「仙台・宮城」サイエンス・デイ2009 (2009.07.05)







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MySQL DBとの接続に失敗しました