可もなく不可もなく→年寄り
今日の午前中はいつもどおり毎週土曜日のバトル会議でした。
昨日のまちなかフェスティバルで悩んでいたことを話したらプチ炎上。
自分が可もなく不可もなく、どっちつかずのサラリーマン
もしくは公務員になっていたことに気付きました。
(お前は何がしたいんだって今まで嫌っていた人種の…。)
ここでスポーツの観点からひとつ。ツ黴
スポーツ選手で可もなく不可もなくって監督としてなかなか
使いにくいタイプ。どこか欠点があってもどっかが抜きんでていたり、
闘志メラメラの人の方がよっぽど使いやすい。
(今、社会人女子チームの監督やっていて思うこと。)
特にマネジメント力の高い監督なら選手の実力以上に
効果を発揮できるはずだ。
結論、何が言いたいか。
プロ選手なら年俸として評価される。
可もなく不可もない選手は評価が低いし、印象にも残りにくい。
もちろん全てがアベレージを超える万能型の選手もいるが
それはほんの一握りだ。
なぜ、年俸や印象に違いが出るのかという答えは
「抜きんでている」というキーワードだ。
つまり、常識(当たり前)の枠から外れているということ。
だからこそ、自分を高く売り込んでいけるし、代替が効かないから
評価も高い。その人がその人であるための必然性。
こう書いていて思うのが、最近の若い人は、特に俺は
小さい頃から身の回りに「当たり前」が多すぎた。
これはできなきゃいけないとか、これくらいできるよね。
っていう大人(親、先生)の接し方が多かった気がする。
現代の子供は空気を読む能力がずば抜けて高いからこそ
期待に応えようとしてしまう。枠にはめられているということに
無意識のままで。もしくは意識して発言しようともがき苦しんでも
大人の当たり前理論の中でつぶれていってしまう。ツ黴
子供は大人の固くなった発想の中で生きていてるだけ。
批判ではなく現実を受け入れて、だからこそ自分の世界観を
前面に押し出していかないといけない。
話が膨らみすぎたけど、要は一般的にありそうな代替できそうな
イベントだと続かないし、インパクトも残らない。
「お前年取ってるよ。学生なんだしもっと思い切った発想を。」
ってよく言われてた意味が徐々に分かり始めてきた今日この頃。
ちょっとぐらい抜けてても、でかいこと言ってれば
周りがフォローしてくれるさくらいの気持ちでいきたいと思います。
ちょっとずつ変わっていこうっと。
もちろん学生だからってのもあるけど、生きていく上で
小さな枠にはまらないように大きいこと考えよう。
解き放たれろ!