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同学年と話してみて&書くことの難しさ

文責:宮崎 栄康 (2008年6月12日) カテゴリ:宮崎日記(73)

今日は技術経営研究会VEXさん主催の仙台市長の講演会に出席してきました。
技術経営研究会VEXは東北大学大学院の理系の方を中心に
講演会や勉強会を定期的に行っております。

今日の懇親会で、私は初めて友人以外の理系の方とお話ししました。
話して感じたことは、「理系も文系も、就職に関して、学生の意識の中で
「出来ない」が多すぎて、無数にあった道がいつの間にか自分でひとつに
狭めてしまっていて、結果、社会に使われてしまっている。」ということです。

なぜ、そう思ったかというと、学部4年生の人と話していると
「理系は専攻が細かすぎて、学部の勉強だけじゃ技術を表面しか
理解できないから大学院に進んで研究進めてからじゃないと
何もできないんだよね。」と言っていました。
どこかで聞いたセリフ。
そういえば自分がインターンを始めたときも
「今は何もできないかもしれないけど、会社に就職して
3年後には自分で企業したいです。」って言っていました。
文系、特に経済学部の人が良く話す言葉で、
理系の人にとっても何も出来ないから大学院に行って研究する。
という自分の中で壁を作って、就職とか学校とか既存のレールに
乗って進んでいくことを当たり前と思ってしまう学生が多いと思います。

結論は「仕事待ち人間は使えない。社会に価値を提供していく
ためには考えていることを形、物にして、自ら先に訴え発言し続ける。」
その上で、相手から情報を引き出してくる。ように頑張ろうってことです。
(最近の仕事の仕方が指示待ちになっていたことに反省を含めて)

今日は結論をはっきりさせて、ぼやかした日本語で誤魔化さない
かを意識して文章書いてみましたが難しいです…。
(日本人の美徳なのか日本語はどちらも立てるように表現できてしまう)
どちら側の意見も何となく正しいときに、問題の中の本質を見出そうと
するとかなり時間がかかってしまうし、すっきり納得できることが少ないし。
難しいからこそ、ぼやかして自分の考えすら曖昧にしてしまう。
(今日は学生が上のように感じてしまう意識の低さが悪いのか、
そのような社会体制が悪いのか、そういう体制を作った根本は何かとか。)

よく考えればどっちとも取れる表現で自分を誤魔化すから
学生は何が良くて、何がダメか、意識が分断されてるのかも。
それだけはしないように思ったことを
できるだけ深く考えて、書くことに集中します。
書かないと意識が次々飛んで忘れてしまう。

本当に必要な部分抜き出して、前提がない人に言葉として伝わるかどうか、
構成はどうか、の部分は後から見直して考えるようにします。
ここ1ヶ月で、書くことも伝えることも無理なく1度にできるように頑張ります。



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