同年代との議論~経験の共有~
なぜか後輩にはいろいろ教えてあげたくなる。教えたいと言うよりは、
無意識に自分の経験を誰かと共有したいという想いがを込められている。
それが、たまたま無条件でも話を聞いてくれる後輩なだけである。
後輩だけでない。同年代もほぼ同じことが言える。
例えば、自分の経験を誰かと共有したいと思ってぺらぺら話している。
すると思いがけずに、自分ってそう考えていたんだと相手に話していて
考えがまとまることが良くある。(特に自分は最近このパターンが多い。)
それは話す人にとって無意識な部分を、聞く人から質問されるからだ。
話す人の意識の中だけで完成された理論でも、実は聞く人にとっては
分からないことだらけである。なので、ふとした質問によって改めて
自分の意識を考え直すから、新しく気付くことが多いのである。
年代が離れるとそれぞれの経験をリアルタイムで共有することは難しい。
それとは逆に、知らない部分だったり、ためになる話もたくさんある。
先輩、同年代、後輩。どちらか片方との議論では意識は固まらない。
それぞれの年代との議論にはそれぞれ意味があるのだと思う。
先輩は「良い例も悪い例も含めて意識を引っ張り上げてくれるところ。」
同年代は「聞いて考えたことを正しいか等身大か議論できるところ。」
後輩は「自分の消えかけた意識をもう1度再認識させてくれるところ。」
それぞれの年代と話すことも大事だが、注意しなきゃいけないことは
まず、自分が等身大で話せているか。でなきゃ、先輩も後輩も無く、
ちゃんとした意見は返ってこなくて、自分に跳ね返ってこない。
先輩、後輩、と身構える前にまずは等身大でいること。