過去の膨大なる履歴~必然~
natural scienceシンポジウムに両親を呼ぶことを決心。
自分の積み上げてきた、今の集大成がシンポジウムだった。
それを見に来て欲しい。そしてちゃんと説明したい。
決心したはいいが、実はめちゃくちゃ怖かった。
手紙を出そうにも手が震えるし、あれだけ言語化してきた
はずなのに、文章は支離滅裂。だらだらと5枚も。
何を伝えていいのか分からない。
そして俺が1番怖いのは、何を言っても認められること。
「栄康の人生なんだから、栄康が決めればいい。」
子供にそうは言うものの、裏に隠れる親の莫大な不安。
親の常識や不安で子供がつぶれてしまうことへの危惧。
そして、子供への絶対的信頼感を偽りたくない恐怖。
全部ひっくるめての「お前に任せる。」
仕事に対する責任や成果の切り分けや何だとブログで
書いているが、そんなレベルを越えた切り分け。
家族以前に、お前は1人の人間で、1人の人生。誰かに口を
出されたからだとかではなく、自分で判断しなければならない。
子供のときから、幸か、不幸か、突きつけられた真実。
少なくとも20年間、一緒に過してきた家族。
人は必ず過去の膨大なる履歴の上に立っている。
その履歴と向き合うことは正直、足が震える。
あの時、ああすればといった仮定はない。必然として
今の自分がある。自分の生き方が正しかったのか、
そしてこれからどう生きていくのか。
ちょうどシンポジウムも終わり、そろそろ過去の履歴と
向き合う、いいチャンスなのかもしれない。
地面が固まったら、もう1段高く飛べる気がする。