授業における試行錯誤
学会発表内容を考える過程で思い出したこと。「試行錯誤を大切に」と安易に言葉を使ってしまう。しかし、今日もロボット教室をやっていて思い出したが、授業においては一定ペースで進まないと結局何もできない。もちろん「試行錯誤」できるだけの前提は引くが、それが最終目的ではないのである。あくまで「年間でロボットを完成させる」その上で「プログラム終了後も自分で作れ るだけの知識・技術をつける」「結果として電気、機械、ソフトウェアといった分野の概念をマスターする」である。そこを見誤っていたように感じた。
毎回同じことだが「学会」のように「社会」にさらされるときは迷い、もっともらしく聞こえる言葉に逃げてしまう。それが逆に自分である必然性を消して一般的に言われるつまらないものへとなってしまう。相当意識し気をつけないといけないな、と感じた。